Chado in Seasons / 茶の湯歳時記

1月

「初点式」

年明け初めのお茶をお家元では初釜式、その末社では初点式と言い、めでたさやその一年の慶事の願いを表す縁起のしつらえをしてお客様を迎え、新年の祝いを分かち合います。

 

香港では床に「蓬萊山飾り」と「結び柳」を飾り、「花びら餅」をお出しした後、 金箔と銀箔を内側に塗布した華やかな対の島台茶碗を使って、一碗を数人で廻し飲む濃茶を召し上がって頂き、席を改めてお屠蘇とお雑煮の祝い膳といたします。他にも寿扇棚、ぶりぶり香合など祝い事や古の正月行事にちなんだ道具が並び、こうして年初のお茶はいつにも増して晴れやかに始まりますが、同時にまた繰り返す一年の稽古の精進を思って気持ちが引き締まる日でもあります。

 

「蓬萊山飾り」は神仙が住むという蓬萊山に見立てて、食の中心になる米を敷いた三方の上に茶の湯では最も大切な炭を組上げ、他に熨斗鮑、伊勢海老、長昆布、串柿、ゆずり葉、橙などを飾ります。

 

「結び柳」束にした長い柳の枝の途中を輪に結んで床畳まで垂らします。

古くは旅立つ人と見送りの人との双方が輪を作った柳の枝と枝を結び合わせて持ち、輪にした枝の先が回って元に戻るように、旅中の平安と無事の帰郷を祈った中国の風習から始まった事とされていますが、日本では旅人でなく、一年の巡りの安泰を祈る象徴に正月の床に飾ります。

 

「花びら餅」は白い餅(求肥)の中央にほんのり紅色が透ける半円形の美しい正月菓子で、白味噌餡と甘く煮た牛蒡の取り合わせが素朴で上品な味わいす。延命長寿を願う宮中の正月行事の一つ 「歯固めの式」の儀式に用いた餅に由来しています。

毎年、初点式の前にはお稽古仲間と「花びら餅」作りをするのも、季節の巡りを感じさせます。

 

2月

「 立春 」

今年の旧暦の元旦は2月8日。香港に住むと年に二回、正月を祝う機会に恵まれます。香港の正月は枝に濃いピンクの莟をいっぱいに付けた桃や、たわわな黄金色の実の金柑の鉢、福の字を逆さまに書いて幸運の到来を意味する「倒福」の赤い貼紙、初売りを賑わすライオンダンスの黄色い獅子など色彩に満ちた正月風景です。

 

香港にも短い冬がありますが、それも旧正月を過ぎれば段々に春めいて暖かくなると言われています。日本でも冬と春の境の日、節分の翌日からは春が始まる立春ですが、実際には名のみで、春の風はまだ冷たいようです。

この寒さまだ厳しき頃には、わき上がる湯気を趣向にした口作りの広い釜、逆に口をやや狭めて深々と筒形に作った熱の逃げ難い茶碗などでお客様をもてなし、掌と口当たり、目や皮膚の五官からもぬくもりを感じて頂くように心がけます。

 

茶の湯の心得の一つ「夏は涼しく冬暖かに」は、暑さ寒さの不快を快適さに転ずる工夫でもあり、暑さ寒さを楽しむ極意でもあるようです。

 

3月

「雛祭り(ひなまつり)」

2月も月末になると祖母と母が暗い納戸から幾つも箱を運び出し、薄紙に包まれた人形を丁寧に取り出しては座敷に並べていたのを思い出します。赤い毛氈を敷いたひな壇に、歌と同じように雪洞の下にはお内裏様にお雛様、三人官女、お大臣に五人囃子を座らせて、長持ちや簞笥、牛車など細々とした調度品に、菱餅、白酒、桃と菜の花で飾り付けるのを面白く見ていました。

生真面目でいて楽しげな白い小さい顔、幼鳥のような人形を形容して「雛」と言ったようですが、元は穢れを払う禊を行う中国の節句行事が日本に紹介され次第に変化して、人形を飾り、女の子の健やかな成長を祈る行事として民間に定着したのは江戸時代も後半の事だそうです。

雛道具のような小振りの茶道具の数々を収めた箱をお客様の前に持ち出し、それを一つずつ取り出して広げ、お点前をして、お茶を差し上げ、また全ての道具を箱に収める、茶箱という点前があります。旅先などに携帯している限られた道具でのお茶もおろそかにしないようにと、工夫されたのが始まりだそうです。
「桃の節句」の頃には、一日を山に遊んで山の神様を村に連れ帰り、田んぼに迎え入れ豊穣を祈願するという行楽と神事が融合した行事もありました。

今回はその野遊びと雛まつりにちなんで、茶箱の「花」点前をしました。茶箱には季節に沿った「雪、月、花,卯の花」という点前があり、花点前はその名の通り春を表しています。

 

4月

「卯月の茶」

香港の4月は気温の上昇と共に湿度も増しビクトリア海峡の僅か1200mを挟んで向き合う香港側と九龍側のビル群がすっぽりと白い霧に包まれて、お互いに対岸が見渡せなくなる朝も多くなります。

香港の花バウヒニア、壁の隙間から色が溢れ出している様なマゼンダや紫のブーゲンビリア、木綿樹や火焔樹の高い枝に咲く赤い花はビルの谷間でも、低く曇った空の下でも鮮やかに目について、ここが亜熱帯の土地だという事を思い出させてくれます。

今頃の日本は桜の季節で、時には花冷えに羽織る物が欲しい日もあると思いますが、こちらでは火の気がそろそろ少し暑苦しく感じる様になってきました。

 

この時期のお茶の席では、胴にぐるりと幅広の羽(縁)が着いた釜で炉の中の火を覆い隠して見えない様にする、それだけでも視覚的に大きな効果があります。

 

「吉野棚」は江戸初期に実在し、類希な美貌と高い人品、詩歌、管弦、茶の湯、立花、書画いずれにも秀でた聡明さに、井原西鶴をして希代の遊女といわしめた吉野太夫の名がついた棚です。太夫が好んだ大きな円窓を持つ茶室の意匠から考案されたそうですが、その姿は棚というよりも小さな茶室の様にも見えます。二つの円窓の一方に入った障子の明るい白が湿気を含んだ鬱陶しい空気を引き締め、室内に居ながら窓外の景色を、例えば、春であれば満開の桜を想像させます。

 

桜を描いたお道具と合わせて、香港でも花見のお茶を楽しみました。

5月

「風炉の季節」

学生の時には毎年決まった時期一斉に制服を冬服から夏服に替える衣替えがありましたが、茶室の設えにも衣替えがあり、それが今月、5月です。

青嵐、梅雨、盛夏の酷暑、残暑に秋霖と次の設え替えの11月までをすがすがしく整えて、涼風や緑を茂らせる雨や露、月や星を愛でる茶の湯の季節を迎えます。

 

最も大きな設えの変化は火床が炉から風炉に変わることで、火の位置がお客様から遠のき、火をおこす炭も湯を沸かす釜のサイズも炉に比べて小さくなります。些細な事ですが、風炉の種類によっては前瓦(前土器)という半円形の素焼きの土器を火の前に立てて、直火を見せない、直火の熱を出来るだけ外に出さないという冷房の無い時代からの知恵もあります。

「香」は香りを楽しむだけでなく、香を焚くことで空間を清浄にするという使われ方もしてきましたので、茶室でも必ず風炉()に香をくべますが、これも風炉と炉では種類の異なる香を使います。炉の時期には数種の香りを配合した複雑な「練香」を使い、風炉になると白檀、伽羅、沈香などの主に一種類の「香木」 で軽やかな場を作ります。

 

他にも、草花の豊富な風炉の季節は床の花も「野にあるよう」な姿で籠花入れなどに活けられ、お菓子は葛、琥珀羹、道明寺羹、寒天などを使った光と水を感じさせるものも多く茶席に出て来るようになります。

6月

「雨」

毎年6月の日本は北海道を除いてほぼ全国的に梅雨入りしますが、香港は既に5月から雨の季節に入り、予想総雨量とその注意報として黄土色、赤、黒の雲や雷のマークがテレビ画面の端に表示される日が多くなります。香港は亜熱帯気候のためスコールの様な雨も多く、雲行きが怪しくなった途端、数十メートル先にカーテンのような雨の束が迫ってくることがあり驚きます。

季節の細やかな日本には気象を表す言葉が沢山ありますが、特に雨を表す言葉は多く、この季節の季語に「薬降る」(旧暦5月5日の雨)、「卯の花腐し」(ウツギの咲く5,6月の雨)、「麦雨」(麦が熟す6月末頃の雨)、「虎が雨」(旧暦5月28日の雨)など梅雨以外の言葉を見受けます。

 

抹茶をすくう竹の匙は茶杓といい、茶杓を削った茶人や所有者がつけた特別な「銘」を持つものがありますが、お稽古では軽いものではその季節に添った、時候、天文、文学、地理、生活行事、動植物、改まった場合は心情、茶境などの銘をそれぞれに付けてお客様に披露します。雨の多い時期は逆に「五月晴」「瀬音」など爽やかさを感じさせる銘も気持ちがよいものです。

風炉の季節は涼を呼ぶため漆の碗や菓子器の上に細かい水を「露打ち」しますが、これも同様に外で雨が続く頃には、器の露打ちは控えめに室内ではさっぱりとした印象にする場合もあります。

 

スペインの雨は主に広野に降る - The rain in Spain stays mainly in the plain.  ミュージカル「マイフェア レディ」の中で主人公が発音練習のために繰り返すフレーズで、楽曲のタイトルでもあり、社交の場での差し障りのない話題の一つとして、このスペインの雨のフレーズが面白く使われています。そして、この作品はにわか雨の中の雨宿りからお話が始まります。

 

茶の湯には「降らずとも雨の用意」、何事も様々なことを想定して準備を怠らず、臨機応変にことに当たるようにという雨を例えにした教えがありますが、卓越した茶人には「マイフェア レディ」は始まらないお話だったかもしれません。

7月

「七夕」

 この夕べ 降り来る雨は 彦星の 早漕ぐ舟の 櫂の散りかも

新暦の七夕ではまだ梅雨が残っていて、せっかくの七夕飾りの短冊も雨にうなだれ、彦星と織女の年に一度の逢瀬も叶わないのかと残念に思いますが、七夕の雨を織姫に逢う為に天の川を急いで舟を漕ぐ牽牛の楫のしぶきかもしれないと、雄大で建設的な歌を詠む万葉歌人がいたようです。

七夕の日の茶会に寄せて始まった点前に「葉蓋」を使う茶の湯の作法があります。茶席の中で茶碗を漱いだり、釜の湯を調整する為の水を入れておく水指(みずさし)の蓋を通常の陶器、漆蓋に代わって木の葉で見立てる扱いです。

当時はもっぱら七夕にちなんだ梶の葉を使いましたが、今では桐、蓮、里芋、蕗など少し大きめの葉も蓋に使っています。清水で洗った朝摘みの瑞々しい葉を載せた水指が茶室に運び込まれると清々しく、茶室に涼が広がります。

蓮や蕗の葉には窪んだ葉の中央に数滴の水を落として仕込み、葉蓋を取り上げる時に、その玉のような滴水を別の器にころりと落とす様子も涼やかです。

 

ギヤマン高杯に朝摘みのライチを盛って…これも香港らしい夏のもてなしです。

8月

「暑気払い」

 

蒸し暑い香港の夏の暑気払いは、船遊びや、島巡り、海岸でのバーベキュー、日が落ちてから海沿いの遊歩道のそぞろ歩きなど、水に近い生活ならではでしょうか。

8月になると、時折、青空の中に散らばった雲から駆け足の雨が降って、あちこちに水溜りを作った後はまた何事も無かったかのように陽が照りつけますが、丁度打ち水のようでかえって気持ちがよいものです。

 

盛夏には夏を凌ぐ涼やかな点前が幾つかありますが、特に「洗い茶巾」は水を楽しむ趣向が香港の夏に相応しく、暑くなり始めると「洗い茶巾」のお稽古が待ち遠しくなります。

朝顔の花、或は盥の形に似た浅く口の広い茶碗に水を張り、その中に麻の茶巾(主に茶碗を拭く小さな長方形の布)をゆったりと泳がせて、縁に出した茶巾の耳をすっと引き上げた時の、茶碗に落ちる水の姿と音を茶室の中のご馳走とします。

 

この点前の由来は、本来お茶の点て難い口広の浅い茶碗を所持していた瀬田掃部(せたかもん)という武将が、茶碗を琵琶湖に、茶碗の端に置く茶杓を琵琶湖の畔に掛かっていた瀬田の唐橋に見立てて、茶碗に水を張り行った点前だそうです。この時の茶杓には「瀬田」という正に趣向に添った銘がつけられました。

この他にも濃茶で行う「名水点(めいすいだて)」は、お客様にお茶を差し上げる前にまず水を味わって頂くという、今でも名水百選などと言って水が美味しい日本ならではの点前ではないでしょうか。

朝早く汲んできた水を水指に用意しますが、よく水に浸した木地の釣瓶形水指に神域、神性を表す幣をつけた注連縄を回して使います。

点前が進む中で、水指の表面が乾いていく様なども夏には良い趣向かもしれません。

9月

「中秋節」

旧暦8月15日「十五夜」の翌日は公休日です。名称も「中秋節翌日」。

 子供達は豆電球の入った兎や金魚の形の提灯を持って、家族と浜辺に座り、あるいは丘に登って、おしゃべりをしながらお月見をするのが、香港の中秋の夜の過ごし方です。夜遅くまでのお月見の翌日がお休みとはしゃれた計らいではないでしょうか。

 

日本では一年中出回っているお菓子、「月餅」は香港ではこの観月の日のための特別なお菓子です。贈答にも使われるので8月半ばになると菓子屋の店先に月餅予約開始の紙が貼り出されます。伝統的な月餅は、月を模した大きめの円形の焼き皮に、濃厚な小豆や蓮の実の餡、これも月を思わせる塩漬けのアヒルの卵の黄身が入っています。奇妙な味がするように思われるかもしれませんが、実は美味しいお菓子です。ケーキのように一つを切り分けて頂きますが、茶席では濃茶との相性も良いお菓子です。

かぐや姫の生まれた竹を交趾の蓋置きで、菓子盆には月に住み嫦娥の薬をつく兎など日中の中秋にちなむ物語や伝説をお道具で取り合わせました。

 

今年の「中秋節」は9月8日ですが、実際の満月は翌日の9日。この月は地球の回りを運行する軌道が最も近づいて、ひときわ大きく輝いて見えるスーパームーンだそうです。

10月6日の月も美しい「十三夜」。「十五夜」だけを眺めるのは片手落ちという事で江戸時代には旧暦9月の十三夜にも栗や豆を供えてお月見をしたそうです。

10月

“秋も深まる名残月に火の暖かさがお客様に近づくように中置のしつらえ”

10月は茶の湯の歳末にあたります。

 

5月に摘まれた新茶は、葉茶のまま茶壺に詰められて夏を越し、初冬の11月にその茶壺の口を開け、半年をかけて熟成した茶を使い始めて翌年の10月いっぱいの一年で使い切るので、10月は前年の冬から使い続けてきた茶の残りはほんの僅かになっています。その僅かに残った茶を惜しみ味わう事から茶道の世界では10月を「名残月」と呼んでいます。

 

また茶の湯には、初夏から晩秋に掛けて風炉を使用する半年と、炉を使用する初冬から春の半年と設えが大きく異なる二つの季節があります。10月、秋も深まり、朝夕冷気を覚える頃に風炉の位置を平常よりお客様に近づけて暖かみを感じて戴こうという、風炉から炉への過渡期の心遣いを表した設えを「中置」と言います。

 

例えば、夏に盛りを誇った花々も秋の深まりと共に、次第に色あせて隠れるように咲き残るだけの姿、最盛期の面影を宿しながらも徐々に冬に向かう時期の風情を「わび」の趣として、道具の取り合わせや床の間の花の中に味わうのが「名残月」の茶の湯です。

 

11月

開炉を祝う「炉開き」の11月こそ 茶の湯の正月

冬の気配を感じ始める11月、茶室でも畳を切って床下に備え付けられた炉を開いて冬支度を始めます。

 

亭主と客の間に囲炉裏のような火の暖かさを置き、 炭の火や釜から立ち上る湯気からも暖かさを感じて頂くような設えに変える事を「炉開き」と呼んで、 節目の祝いをします。

 

炉開きの席には、邪気を払うと信じられた赤色の小豆で善哉を、また冬の滋養食としてその昔の中国の宮中で供された亥の膳に見立てて、 亥をかたどった「亥子餅」が用いられるようになり、いずれもこれからの寒い季節の到来を感じさせます。
 
また丁度この頃、5月の茶摘みの後に熟成させていた新茶の茶葉が茶壺ごと茶園からそれぞれの茶家の手元に届けられます。その新茶を初めて口にするという新鮮な喜びを祝う為に、茶壺の封をお客様の前で開けて、茶葉を茶臼で引いて新茶をお出しする、この特別な機会を「口切り」と言い、この日から一年のお茶始めとして茶人正月」とも言い習わしてきました。
 
茶壺を届ける道々にもいで来た柿と栗を土産に届ける事もあったそうで、その時代を偲んで「口切り」の席には柿と栗を供えたり、茶菓子として供される事もあります。

 

12月

「 冬至 」

北半球で一年のうちの日中の長さが最も短い冬至は、その日を境に日一日と日が延びる太陽の動向を吉兆として各国で特別な日として祝う習慣があるようです。

 

日本でもかぼちゃが食卓に上がり、柚子湯に入ることが多いようですが、今でも祝祭日を旧暦に従って行う香港では旧暦の暦を作る起点の日の冬至は旧正月よりも大切な日という意味の「冬大過年」などという言葉もあり、殆どの家庭が夕食を家族で団欒して過ごします。

 

私共の稽古でも冬至に先立って「湯圓」を頂きました。湯圓は中国南部地方の冬至の祝い膳の一つだそうで、白玉粉や粳米粉で練った丸い団子に小豆餡、胡麻餡、ピーナッツ餡などを包んで茹でた温かいお菓子です。ここでは胡麻餡の湯圓を甘い生姜の汁に浮かせてお出ししました。

 

一陽来復、これから冬本番ですが、少しずつでも確実に太陽は高く、日は長く照るようになって参ります。

 

来る年の皆様のご多幸をお祈り致します。